
ワタクシ個人は夏が来ると思い出すのは、“はるかな尾瀬”でも“とおい空”でもなく、司馬遼太郎の歴史小説、“竜馬がゆく”でございます。
理由は歴史小説や時代小説を好んで読むようになったきっかけの作品だからです。(その経緯はここ)
これを機に歴史学者の方々による幕末史や坂本龍馬関連の著作も読むようになったのですが、これらでその人物の実像を知りますと、例えば坂本龍馬に限らず歴史上の人物が主人公の場合、小説内ではそのキャラクターが、如何に虚実入り交じった形で描かれているかという事が良く分かります。1
しかし、歴史小説、時代小説はエンターテイメント作品ですから、寧ろ実像だけでキャラクターを描かれたら実につまらないものになること必定であります。
ですから、虚像を交えて描かれるのはエンターテイメント作品では歓迎すべきことだとワタクシは思っております。実像に関しては自身でじっくり調べれば良いのですから。
明治維新を一気に進めた出来事と言えばやはり、“薩長同盟”でしょうか。
ニ大雄藩でありながら犬猿の仲であった薩摩藩と長州藩の間で結ばれた政治的・軍事的な同盟ですが、その仲立をしたのが坂本龍馬と中岡慎太郎という事になっております。
小説等のイメージによって“薩長同盟”の功績は坂本龍馬が特に賛美されがちですが、実際は中岡慎太郎の方が積極的に働きかけていたのは事実。
しかも、“薩長同盟”のそもそもの発案者は福岡藩士の月形洗蔵であり、それが薩摩藩の家老、小松帯刀、長州藩の伊藤博文、井上 馨の間で密かに進められていたものでございますし。
坂本龍馬は当時、単なる脱藩浪人ですから“薩長同盟”での役割は両藩の仲介者というだけの立場でございます。
そんなこんなで“薩長同盟”は慶応2年(1866年)1月21日に京都の小松帯刀邸で締結されました。
“薩長同盟”の内容は文書では残されておりません。
何故なら、これは絶対に幕府側に知られてはいけない最重要機密でございますから、文書として残すと漏洩してしまう危険性があったため口頭のみでの締結となったからです。
その内容が今日知られているのは薩長同盟締結から程なくして桂小五郎(後の木戸孝允)が、口頭約束で締結された盟約が万が一反故にされた場合の事を恐れて、仲介者であった坂本龍馬に保証人として裏書を依頼した手紙が現存しているからです。

朱墨で書かれた裏書の原文はこんな感じです.
表に御記被成候六条ハ、
小、西、両氏及老兄、
龍等も御同席ニて
談論セシ所ニて、
毛も相違無之候。
後来といへども決して
変り候事無之ハ、
神明の知る所ニ御座候。
丙寅二月五日
坂本龍馬
訳文
表に記載された六ヶ条は、
小松帯刀(小)、西郷隆盛(西)の両氏、
ならびに桂小五郎(老兄)、
そして私(龍馬)も同席のうえで
話し合った内容であり、
少しも相違ありません。
今後といえども決して変わることはないと
神仏にかけて誓います。
慶応二年二月五日
坂本龍馬
近年では坂本龍馬は仲介者でもなんでもなく、既に慶応2月18日時点で小松帯刀と桂小五郎(木戸孝允)の間で6か条から成る条文の大筋が決定されていて、21日に坂本龍馬がやって来て小松帯刀、西郷隆盛、桂小五郎(木戸孝允)と、その6か条を確認し、後でそれを書状に記したものに裏書を求めたという説がございます。
これによると“薩長同盟”は軍事同盟ではなく、小松帯刀と桂小五郎(木戸孝允)との間で交わしたシンプルな“小松・木戸覚書”と考察されています。
たった160年ほど前の出来事であっても様々な説が唱えられたり、新発見資料が見つかってこれまでの通説が覆ってしまったりと、歴史の世界は悪く言えばいい加減、良く言えば面白いですが、いずれにしろ難しい分野ですね。
でも、真実は一つだけなんですよね。

コメント