顔面凶器三人衆揃い踏みっ!
うちのお店の隣りにあるコインパーキングが昨日で営業が終了し、今日から新築されるコーポの建築のための工事が始まりまっした。
で、今日もまた尋常ぢゃねぇ酷暑でございまんするす・・・。作業されている方々は当然ながら太陽に灼かれながら仕事をするわけで、ただただ頭が下がり申す。
さっき、近くの自販機に飲料を買いに出たのでっすが、交通誘導警備のオヂさん、と言うよりオジイちゃんに「ご苦労さまですっ!」と声を掛けられまっしてね、いやいやいやいや、ご苦労さまなのはあなた様でございまっするよっ!ってな感じで世間話をしていると、オイラは地獄のような暑さでナイアガラの滝の如く汗を流すのであった・・・。
オジイちゃんにつめた~い麦茶を進呈しまっした。いやはや、大変なお仕事でっす・・・。
さて、今年初頭にオイラがむかしむかしア・ロング・タイム・アゴーに津軽三味線を始めてから辞めるまでのお話を書きまっしたが(ここ)、実は先生はオイラの中学時代の同級生のお父さんであったり、奥様はオイラの母と着付け教室で偶然出会った友人だったりと不思議な縁で結ばれておりまっして、それ故に先生ご夫妻とうちの両親は頻繁に飲みに行ってたのね。
そのうち、お教室に通われていた中古車販売会社社長のHさんもその仲間に加わりまっした。
今回の話は旧愚ブログにも書いたのでっすが、かなりオモロイのでまた書きまっす。
過日、うちのマミー、先生の奥様、2人共通の友人である某女史だけで飲みに行って、ほどなく酩酊した熟女3人が野郎連中も呼ぼうぜっ!となり、先生、父、Hさんに声をかけたのであった。
実はこの3人。かなりの強面でありまっす。今風に言えば正に
顔面凶器っ!
でありまっして、先生は悪役を演じている時の左とん平さん、父は西部警察時代の渡哲也さん、Hさんは親分と呼ばれていた頃の大沢啓二さんにクリソツでありまっした。
しかも、父はこの時、左目尻にあった大きなホクロを故あって切除手術したばかりで、傷口がまだ生々しいので真っ黒いグラサンをかけた上にバリバリのパンチパーマだったため、凶悪ヅラに更なる拍車がかかっておりんした。
んで、程なくして3人打ち揃って南小岩の某居酒屋に入って来た途端、店内が
しぃ~~~~~~~~~~ん
と、静寂に包まれたらしい・・・。
しかも、Hさんはかなりの低音、且つ、濁声の持ち主であったため、大声で
お”ぅっ!お待だせぇっ!飲んでるぅ~~~あっ!
と、若本規夫さん風にサツアイをかますもんでっすから、店内の緊張感は弥増すって寸法。
この話を聞いた時は想像が出来すぎてゲラゲラ笑っちまったな。もちろん、3人とも単なる普通のオッサンでっすから何も危険はありませぬ。
余話ではありまっすが、オイラと父の2人だけでお盆に母の故郷である山形県の酒田市に車で赴いた時のこと。
当時、うちの車って父が仕事で使っている4トントラックしかなく(トラック野郎だったのでね)、ちょうど車検に出していたので件のHさんのご厚意で車を借りたのね。
それは何と黒塗りのトヨタ・センチュリー(旧型)でございまっしてね、

さすが、高級車だけあって乗り心地はめっちゃ最高でござんした。
で、昼過ぎになって新潟の海沿いを走っておりまっしたら、父が「蕎麦でも食っていくか」と見るからに美味そうな蕎麦屋に車を止めたのね。
この頃の父はパンチパーマではなく角刈りに漆黒のグラサンをかけており、大学生だったオイラはちょっと派手めなアロハを着て、同様にグラサンをかけた癖の強いロン毛の時代だったものでっすから、傍目には
組長と若頭
にしか見えず、加えて父は身長170cmのムキムキマッチョ、オイラは181cmの細マッチョだったので威圧感はパネェ感じになっておったようで、お昼時で結構混んでいた店内はオイラたちが入店すると想像どおり静寂に包まれまっした・・・。
ちなみにオイラのツラは母親似なので全然強面ぢゃないんだけどね・・・。
コメント