
昨日、すんごく久しぶりに“秋葉原ラジオセンター”の2Fに出店されている“菊地無線電気”に行ってきまっした。
いいねいいねぇ~。ラジオセンターっ!
相変わらず昭和の匂いがぷんぷん薫る建物だねぇ。ここは古き良き秋葉原電気街の雰囲気を残す唯一の場所ぢゃなかろか。世界遺産に登録して欲しいっ!
なんと、“菊地無線電気”のオーナーの菊地さんは今年、御年96歳(昭和4年・西暦1929年のお生まれ。開業は1949年っ!)になられるっ!土下寝でリスペクトっす!
未だ現役バリバリの秋葉原電気街のレジェンド中のレジェンドと言っても過言ではなかろう。いつ行っても気さくに声を掛けて下さるんでっすよねぇ。いつまでもお元気でっ!
さて、今回のお話は旧愚ブログで書いたのでっすが、怖い思いをしたとは言え、面白いっちゃあ面白い話ので今一度書きまっす。
あれはオイラが目出度く20歳になり、年が明けた1月15日に葛飾区内で開催された成人式に出席した日でござんした。
そこかしこに見知った同級生がおり、一頻り盛り上がった後に帰宅すると両親が何やら慌てふためいており、何事かと思ふたら父親がいきなり、「婆ちゃん(父親の母ね)が亡くなったっていう連絡が入ったから、これから茨城に行くぞっ!」と言われてクリビツテンギョウした。
そんなこんなで月日は流れ、8月のお盆に法要のためオイラと母の2人で茨城某所へ電車とタクシーを乗り継いで向かったのであります。(父親は仕事のため翌日合流)
オイラは翌日に学校関係の行事に参加しなくてはいけなかったので、爺ちゃん(父親の父ね)に挨拶をして墓参りをし、当日の夜に1人で帰ることになりまっした。
その頃、オイラはまだ運転免許を取得しておらなかったので、取り敢えず最寄り駅である常磐線“牛久駅”までタクシーで向かうことになったのね。
最寄りとは言っても、実はここから牛久駅までは車で40分近くかかるのな・・・。
タクシーを呼ぶと、程なくしてやって来たので運転手さんに
牛久駅までお願いしまっす
と言うたのでっすが、何故か無反応なんだよね・・・。
しかも、終始無表情なツラでありまっして結局、何の反応もなく徐ろに車が出発。
この時点でオイラがこの運転手!に対して剥き出しの敵意を抱いたことは言うまでもない。でも、それを顔には出さず心の中でありとあらゆる罵詈雑言を浴びせてやったわっ!
で、皆様ご想像の通りその後、車内がシーンと静まり返ったままタクシーは進んで行くわけ。
が、ある所までくるとタクシーはオイラの知らぬ道、というより田んぼの畦道にいきなり入ったのであった・・・。んで、何だか知らんけど、すんげぇスピードで走るのよ。ずんずんずんずんと。
んでオイラはちょっと不安になり運転手に
この道で合ってます?
と訊ねたのでっすが、やっぱり無反応なんだよね・・・。が、チラッとルームミラーを見るとこの運転手がなぜか
ニヤニヤ笑って
るんだよね・・・。
しかも、畦道を過ぎると妙に街灯の少ない薄暗い道を直走るのであった。
でっすのでオイラは
や、ヤベェ・・・。こ、コイツ、タクシー運転手は世を忍ぶ仮の姿で、実は稀代のシリアルキラーなんぢゃね?クッソーっ!きっと今まで何人も犠牲になっているに違ぇねぇっ!つ~か、いい加減そのニヤニヤ笑いはやめろやっ!ちっ!どうにかしてこのクソみたいな状況から脱しなくてはっ!どうする?さぁ、どうする?怪我を覚悟でドア開けて外に飛び出すか?いやいやいやいや。このスピードだと下手したら◯んでしまうかも・・・。ぬ~~~~~ん。よしっ!いいぜいいぜっ!いつでも襲って来やがれっ!おんどれの顔も名前も覚えたぜっ!ゴルァっ!舐めんぢゃねぇぞっ!返り討ちにしてやらぁ~っ!
と、例によって手前勝手に妄想を膨らませて悶々としているうちにタクシーがやおら停まった。
いよいよかっ!と身構えたオイラでっすが、ふと外を見ると
牛久駅
であった・・・。
何のことはない。この運転手はオイラの知らない近道を使っただけであった。ちなみに到着にかかった時間は30分弱であった。
でもねぇ・・・。
一応、礼を言って料金を払って降車したんだけど、結局、この運転手は「ありがとうございました」の一言もなく、ニヤニヤ笑いのまま駅前を去っていった・・・。
何なんだよっ!
イライラの頂点に達したまま、帰宅の途についたオイラなのであった・・・。
以来、現在に至るまで交通手段に於いて滅多にタクシーを使うことが無くなったオイラでっす。

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