扨も/\人間の一世ハがてんの行ぬハ元よりの事、
うんのわるいものハふろよりいでんとして、
きんたまをつめわりて死ぬるものもあり。
夫とくらべてハ私などハ、うんがつよく
なにほど死ぬるバへでゝもしなれず、
じぶんでしのふと思ふても又いきねバならん事ニなり、
今にてハ日本第一の人物勝憐太郎殿という人にでしになり、
日々兼而思付所をせいといたしおり申候。
其故に私年四十歳になるころまでハ、
うちにハかへらんよふニいたし申つもりにて、
あにさんにもそふだんいたし候所、
このごろハおゝきに御きげんよろしくなり、
そのおゆるしがいで申候。
国のため天下のためちからおつくしおり申候。
どふぞおんよろこびねがいあげ、かしこ。三月廿日 龍
乙様御つきあいの人ニも、極御心安き人ニハ内御見せ、
かしこ
これも旧愚ブログで書いたお話でっす。
さて、冒頭の文章は坂本龍馬が文久三年(1863年)三月二十日に姉の乙女へ宛てて書いた有名な書簡でっす。
意訳しまっすと(怒っちゃや~よ)、
いやぁ~、人間の一生なんてどうなるかわからないのは
あたり前田のクラッカーなわけで、
マヂで運が悪い人は風呂から出る時に思わず足を滑らせて、
きんたまをバスタブの端っこに強打して死んぢゃう人もいるよね。
それと比べればオイラはすんごく運が強いみたいで、
こりゃ死ぬな・・・という所に行っても死なぬし、
あぁ~マンドクセ~っ!もう死にてぇ~っ!などと思っても、
やんなきゃならねぇ事が出来ちゃうんだよねぇ・・・。
今は日本を代表するカリスマである勝麟太郎先生の弟子になって
毎日毎日、海軍の訓練をしちょりまっす。
でっすから、オイラは取り敢えず四十歳くらいまでは家に帰らないつもりっす。
一応、兄貴にも相談したけんど、ここ最近はすんごくご機嫌が良いみたいで
取り敢えず頑張れと言われたっす。まぁ、しばらくは日本のため、
天下のために働きまっす!
どうぞ、喜んでちょうだい。ぢゃ!三月二十日。龍馬より。
あ、そうそう、乙女姉さん!この手紙は姉さんのマブダチになら、
そっと見せてもいいよん。ではでは。
という事なんでっすけど、江戸時代にこんなくだけた手紙を書く龍馬さんは最高ぢゃき。
さて以前、オイラが小学生時代にスイミング・スクールに通っていた事を書きまっしたけど(ここ)、オイラのちょっと後に当時隣りに住んでいた幼馴染のO君も一緒に通うようになりもした。
O君は小柄でっしたけど運動神経抜群で、が、オイラと同様に泳げなかったのね。そんな訳で毎週土曜日はO君と一緒に京成バスに乗って北小岩までGO!
もちろん、帰りも一緒に帰るわけでっすが、ある時、2人でアイスを食べながらスイミング・スクールの前にあったガードレールで遊び始めたのでございまっす。

何をやったかと言うと、ガードレールの上に立って
綱渡りぃ~~~~!
とか言って行ったり来たりする、この年齢の頃のガキンチョが漏れなくやるであろう実に他愛もない遊びでっす。
扨も/\、前フリから感の良い方は既に話の先がお見えかと思いまっする。
そう!運動神経抜群のO君は何度も何度もガードレールを行き来している間に調子が乗ってきたのか、最後の最後にジャンプしてガードレールに着地をするという大技を繰り出したのでありまっす。そして、
着地失敗・・・。
完全なる木馬責め状態でしたたかに“きんたま”を強打したO君は後に映画、“Platoon(プラトーン)”でWillem Dafoe(ウィレム・デフォー)が演じたゴードン・エリアス三等軍曹と同じ格好で悶絶したことは言うまでもない。

幸いO君は“きんたま”をつめわることはなかったっすけど、オイラも少年野球の練習でキャッチャーをやった時、ショートバウンドを取り損ねて軟式ボールが垂直に“きんたま”を直撃した時は
ほ、ほ、ほ、ほやぁ~~~~っ!
と、初夏の海の珍味を叫びながら悶絶したっけ・・・。この痛みだけは野郎にしかわかるまい・・・。
【追記:O君のその後】
O君は小学校卒業と同時に九州に引っ越してもうたのね。それ以来、一度も会っていないのでオイラの記憶にあるO君の姿形は12歳で止まってしまっておりまっす。
20歳になった頃、風の便りで何とO君は18歳で結婚をして既に子供もいると聞いた時は心底クリビツしまっしたが、「あぁ・・・。O君のきんたまはちゃんと機能を果たしていたんだなぁ・・・」と妙に安心したっけ。

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