なんか今日は妙に暖かく感じるのでっすが、オイラだけでせうか?みんなは寒いって言うのだけど・・・。
さて、先日。“生まれて初めてギター弦を交換した時のおっかねぇお話”の中で、
オイラは現在に至るまで結局ギター教室には一度も通わなかったので、純然たる独学野郎でございまっする。(教室通いってぇのが苦手なもので・・・)
っていうことを書きまっしたが、実は小学2年生から6年生まで北小岩の“小岩セントラル・スイムクラブ(実は名前がハッキリ思い出せぬ・・・。東京セントラル~だったかも)”(現:日本水泳館 小岩校)というスイミング・スクールに通っておりもした。
当時は葛飾区に住んでおったので毎週土曜日、学校から帰宅して昼食を摂ってから京成バスに乗って通っておりまっした。(何と偶然にも、現在オイラが住んでいるマンションから目と鼻の先にあるんだよ)
というのも、オイラは小学1年生まで洗顔をするのも怖いほどの“水恐怖症”でありまして、当然ながら頭を洗う時には“シャンプーハット”が必須なガキンチョでございまっした。
で、両親がこんなことでは今後、学校の水泳の授業が危ぶまれるという事で、たまたま新聞に完成したばかりのこのスイミング・スクールの広告が入っていたの機に「通ってみないか?」と諭され意を決して通い始めたのでございまっする。
最終的にはこのスイミング・スクールの水泳試験で最高級の1級を取得しまっした。ちなみに1級は個人メドレーが課題でござんしたな。
その後、習い事等に通うことは無かったのでございまっすが、高校2年の時にオイラの同級生の親父さんがやっておられた民謡教室に通うことになったのであった。
それより1年ほど前にオイラの親父が先に通っておったのでっすが、「おいっ!お前ぇもやってみんか?」と誘われたの。
この頃はクラギとアコギにハマりまくっておったのでっすが、この民謡教室では津軽三味線も教えていたので「面白そうっ!」と思って通い始めたのねん。
この教室では譜面は全く使用されず、先生に向かって端座し、先生が弾かれたフレーズを目と耳で覚えていく伝統的な教え方でっした。
すんごく失礼な物言いでっすが、単純に楽器演奏技術という点だけでギターと津軽三味線を比較しまっすと、ギターの方が遥かに難しいでっす。これは断言出来まっす。
そんなこんなで結局、10年通いまっした。覚えた曲は100曲以上になりまっしたなぁ。津軽の曲もガンガン弾きまくったっすよ。
で、最終的に教室の名取となり、同じ年に日本民謡文化協会1主催の資格試験を受験して助教師という免許をいただきまっした。
立派な賞状とオイラの名取名が墨痕も鮮やかに書かれた木製の大きな名札を貰ったな。ちなみにその上の教師というのは、既にお教室を運営して教授活動をされている方のみが受験できるものでございまっする。
が、程なくしてオイラは三味線の棹を折る、すなわちキッパリ止めてしもうたのであった・・・。
さて、冒頭の音源はオイラが器楽奏者の中で最も尊敬する津軽三味線の名匠、高橋竹山(初代)先生の創作曲、“即興曲「岩木」”です。素晴らしすぎてチキン肌がスタンドアップっ!でんがな。
オイラは都合2回、竹山先生の生演奏を聴いたことがございます。1回目は大学生時代、2回目は上述の免許を取得した直後でございまっした。
大学時代に聴いた時も言いようのない感銘を受けたのでっすが、その時は「オイラもこんな三味線が弾けるように精進しようっ!」と、とってもポジティブな気持ちでその後も三味線を弾いておりまっした。
んが、それから数年後・・・。
地元小岩からもほど近い、“江戸川総合文化センター”で竹山先生の演奏会が行われる事を知り、民謡の会の先生とオイラを含めた生徒の何名かで聴きに行ったのでっすが、この時はアンコール演奏が終わって客電が点いても、しばらく立ち上がれないくらい激しく感動してしまったオイラ・・・。
もうね、まず竹山先生の三味線の音そのものが心の琴線を激しく搖さぶりまくり、その類稀な音色で奏でられる音の世界は奇異な表現ではありまっすが、
人間の一生を俯瞰するようなファンタジー
でございまっした。
大袈裟ではなく、2023年1月28日現在、この時の感動を超える器楽コンサートにオイラは出会っておりまっせん。
以来、オイラは自分の演奏する三味線の音を聴くのが苦痛になってしまい、結局のところ程なくして民謡の会を退会したのでございまっす。
でっすので、30数年三味線に触れておりまっせん。そうするとどうなるか?
今や1曲も弾けまっせん・・・。
楽譜というものがございませんので、曲を忘れぬようにするには毎日弾き続けるしかないのねん。
また、三味線って両面に皮が張られているぢゃねぇでっすか。津軽三味線の場合はお犬様(主に闘犬)の背中の皮が使用されまっす。んで、ケースにしまいっぱなしにしまっすと、100%皮が破れまっす。
今現在、オイラの津軽三味線は実家に置いてありまっすけど、両面とも皮が破れておりまっす・・・。いつか再開したいという気持ちはあるのでっすが、残念ながらオイラが通っていた民謡の会は先生がご逝去されて消滅・・・。
竹山先生の演奏を採譜っていう手もあるのでっすが、そんな罰当たりな事は出来んしな・・・。まぁ、一人でこっそり楽しむ分にはええかなぁ・・・。
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