
前回の記事で何気なく
なので無事に5年生に進級した時(?)、「今年の定演で弾こうっ!」と思い立って採譜を始めたのでっすけど、~
なんて事を書いたのでっすが、これは事実でござんす。
この件に関しては旧愚ブログでも書いたのでっすが、若気の至りとは言え未だ軽い虎馬でもあるので今一度告白いたしんす。
1985年、大学2年生へと進級したオイラはようやく成人と相成りもした。
な訳で、小学校時代の同級生たちとようやく大手を振って酒が飲めるようになったわけで、これは先生も呼んで大々的にクラス会を開催するしかあるめいという事になり、当時はまだまだ地元に多く同級生が住まっておりまっしたので手当たり次第に声をかけたら、そのほとんどが参加することになったのな。
クラス会の会場は当然、小岩に決定っ!
それぞれの近況を話しながら実に楽しいひと時を過ごしたわけでっすが、酔が進むにつれてオイラは徐々に自己嫌悪に陥り始めたのでございまっする・・・。
なぜなら、誠に意外ながら当日集まった同級生たちのほとんどが高校卒業後は就職しておったのでっす。大学へ進学したのはオイラを含め数名でっした。
大学進学後のオイラはギター部に入部して学業は二の次でギターばっかり弾いておって、朝は早くても10時起き、で、学校に行っても「あぁ、かったりぃ・・・」と授業をサボることもしばしばという自堕落な生活を送っておりまっした。
昔の仲間たちの多くが就職をし、既に立派な社会人として活躍している姿が眩しかったなぁ・・・。それに引き替えオイラは一体何をやっておるのだ・・・と・・・。
そうこうしているうちに無事に3年生へと進級したのでっすけど、この頃もオイラはまだモヤモヤしておりまっした。
春が過ぎ、夏が過ぎ、夏休み明けには前期試験が行われたのでっすが、オイラは全くモチベーションが上がらず、あろうことかそのほとんどをスルーしてもうた・・・。この時点で年明けの後期試験を受けるまでもなく、ほぼ留年が決定したわけでっす。
結果、当然ながら年明けの3月に学校の掲示板に留年者としてオイラの名前が張り出されたな。
いっそのこと退学して就職しようかとまで思うたこともあったのでっすが、それでは余りにも親不孝過ぎると猛省し、両親に頭を下げてそのまま大学に通わせてもらったのでございまっす。つまり、3年生を2回やったことになりまっする。
ゼミ担当のY先生はとっても良い先生で、今も足を向けて寝られぬのでっすが、2回目の3年生の時に4年生としてゼミを受講させてくださり、更には卒論も提出していいよとまで仰ってくださったのでお言葉に甘え、よって丸々1年という時間を就職活動に充てる事が出来たのでありんした。
この時のオイラの不安定な動向はどう振り返っても若気の至りなんでっすけど、未だにこの時のことを夢に見るのよ・・・。かなりリアルに・・・。夢から覚めるたびに
あぁ・・・。オイラはもうとっくに大学は卒業しているんだよな・・・。
と、心の底から安堵するのでありまっす。まぁ、これは一種の罰なのでござりましょう。
あれから30数年・・・。ゴールデンウィーク連休も夏休みもなく、老体に鞭を打って馬車馬のように働いているのもそのせいだろう・・・。そういうことにしておこう・・・。
Luzia様
この回のブログ泣けました。ついコメントしたくなりました。実は私も一年留年してましてLuiza様のお気持ちわかり過ぎるのです
特にこの部分
【この時のオイラの不安定な動向はどう振り返っても若気の至りなんでっすけど、未だにこの時のことを夢に見るのよ・・・。かなりリアルに・・・。夢から覚めるたびに あぁ・・・。オイラはもうとっくに大学は卒業しているんだよな・・・。と、心の底から安堵するのでありまっす。】
全く同じ、同じ罰を受けている…
一度貴殿が年齢について書いておられましたが1つ違いでありました。
そろそろ許してほしい
korokoroさん
コメントをいただきありがとうございまっす。
>全く同じ、同じ罰を受けている…
おお~、同志よっ!そして、ほぼ同級生なのでっすねっ!
あの頃は本当にどうかしていたな・・・と誠に汗顔の至りなのでっすが、やっぱり若さ故の過ちだったのかもしれまっせん。
今でも1年に1度は夢を見るのでっすが、悪夢としか言いようがなく、酷いと目覚めた時に心臓がバックンバックンしちょります。
これからも可能な限り、親孝行をしたいと思ふておりまっす。