
昨日、降雪のため行けなかった楽器の納品を先程済ませてきまっした。非常に狭い道の奥にあるお宅だったので、なかなか緊張いたしまっした。
うちの店の近辺、落合近辺、中野近辺は太平洋戦争時に空襲等で被害を受けていない地域ということもあって(所謂、谷根千界隈もそうっすね)、道路区画が当時のままの所が結構ありまっして、ハイエースがギリギリ通れる位の道幅なんすよね・・・。
まぁ、無事に終わって良かったでっす。
さて、何度か書きまっしたが、オイラの父親は茨城産でありまっして、子供の頃はかなりやんちゃで、それが昂じて中学卒業とともにほとんど家出同然で上京したのでありまっした。(その辺りのお話はここ)
一時は“カミナリ族”のようなこともしておったそうな。
その頃の父親の写真を見たことがあるのでっすが、首にシャレオツなスカーフなんかを巻いて如何にも粋がってる感が満載で大笑いしたっけ。
そんなこんなでその後、ほとんど“略奪愛”的な感じで母親と結婚したのが父親が24歳、母親が22歳の時だったそうな。(略奪愛云々に関しては書かない、と言うより書けない・・・)
で、程なくしてオイラが生まれたのでありまっす。
父親は初めての子供であるオイラが産まれた事に非常に感動しまくったらしく、休みのたびに用もないのに友人知人の家にオイラを連れて出かけまくったらしいのでっすが、勿論、オイラは全く記憶にござらん。(まだ、0歳だからねぇ)
でっすので当然、家出同然で飛び出した実家にも頻繁に連れて行くわけね。
振り返ると、オイラが物心ついた頃から成人するまでの間、本当に祖父母には溺愛に近い愛情を注いでもらいまっした。多分、不良息子であった父親が立派に人の親になったのが嬉しかったのかなぁ。
あと、子供の頃のオイラは今では信じられないくらい大人しくて、自分で言うのも何なのでっすが、すんごい“良い子”だったからかもしんない。
まぁとにかく、目に入れても痛くないほど可愛がられたのでっすが、残念ながら祖母はオイラが20歳の時、祖父はその翌年に相次いで他界・・・。悲しかったなぁ・・・。
あれはオイラが小学校高学年の頃だったと記憶しておりまっすが、夏休みに祖父母に会いに泊りがけで遊びに行った時のことでございまっす。
ある日祖父が、
◯っちゃん。おじいちゃんの若い頃の写真を見るかい?
と、古いアルバムを持ってきまっした。
祖父は大正初めの生まれでございまっしたが、身長が170cmありまっして、当時の男性としては高身長であり、しかも、若い頃の風貌はスマートで足が長く、顔はまるで映画スター顔負けのハンサムでクリビツっ!
が、更にクリビツテンギョウしてしまったのは祖父の兵隊姿の写真でございまっした。
戦友と思われる何人かの方々との集合写真だったのでっすが、軍服を着用し三八式歩兵銃(恐らく)を手に厳しい顔を向けている若かりし祖父の姿は、ただ只管に優しい好々爺としての印象しか持ち得なかった当時のオイラには余りにも衝撃的な一葉でございまっした。
戦後20年の高度経済成長期の真っ只中に生まれ育ったオイラでっすから、大東亜戦争~太平洋戦争の惨状は例えば学級図書にあった“はだしのゲン”を読んだりして「戦争は怖いし嫌だなぁ・・・」と思っても、身近である若かりし祖父の恐らく大東亜戦争初期に撮影された生々しい戦争の歴史の一端を突然、垣間見てしまって子供ながらに様々な思いを抱いたっすなぁ。
2025年は日本国民の8割が戦争を知らない世代を占めると言われておりまっす。
勿論、戦争なんかこの世から消滅した方が良いのでっすが、残念ながら、そうはならないのが人類の歴史が証明してしまっておりまっす。
過去の戦争の歴史は無かったことには出来ぬし、その愚行は決して忘れてはならぬと思ふ。
2025年は祖父の没後約40年でありまっして、ふと思いを馳せてもうた・・・。

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