
うちの父親は現在、83歳ざんす。(12月で84になられる)
あのちばてつやさんと同級なのでっすが、まぁ、ちばさん同様、元気元気。(デジャヴ)
父は若い頃は結構やんちゃで、当時同居していた明治生まれの祖父母(つまり、オイラの曽祖父母)に
お前は中学を出たら高校など行かず百姓を継げっ!
と散々言われ、
ぜってぇやらねぇ~っ!
と、啖呵を切って中学卒業とともに家出同然で上京してしまったのな。
その後、紆余曲折あって18歳になった頃、今は無き新宿の淀橋浄水場近くにあった3畳一間のアパートに移り住み、バーテンダー見習いをして何とか食っていたそうでっす。(ちなみにその頃の新宿は高層ビルなど1本も建っていないので、アパートから新宿歌舞伎町が見えたそうである)
とは言え、給料日前の金欠の時はパン屋さんでタダで貰った“パンの耳”で糊口を凌ぎ、働いていたバーは出勤前の美しき夜の蝶の方たちが食事を兼ねて来店することが多かったらしく、頭を慎太郎刈りにして、まだまだ初々しかった父は可愛がられ
お兄さん。これで何か美味しいものでも食べなさい。
と、しょっちゅう小遣いを貰ったとか。
その後、同郷の友人から運送の仕事をやらないか?と誘われ、以後、60代後半に引退するまでずっとトラック野郎でござんした。
デコトラではなかったでっすけど(父はあまり好きぢゃなかったみたい)、見た目や言動は映画の“トラック野郎シリーズ”に出てくるトラック運転手とほとんど同じでっしたな。
オイラが物心ついた頃は真っ黒いグラサンに角刈り、成人した頃は大仏様の如きパンチパーマぢゃった。
角刈りの頃は渡哲也さんが演じた西部警察の大門圭介にクリソツでありまっしたなぁ。

加えて、年中重たい荷物の積み下ろし作業をしていたので腹はビール腹でっしたけど、全体的に筋骨隆々、且つ、強面でっしたから大抵の場合、その筋の方々と誤解されることもしばしばでござんした。
で、父はいわゆる“トラック持ち込み”で仕事をしておりまっしたので、業種的には自営業となりまっす。
オイラが言うのもなんでっすが、結構な稼ぎがございまっした。が、当然ながら自営でっすので車のガソリン代、維持費、メンテナンス等は自腹でっす。(トラックって高いよねぇ)
オイラは学生時代の夏休みに何度か父の仕事を手伝った事があるのでっすが、かなりハードでっした。
道が混む前に家を出発するもんでっすから春夏秋冬毎朝4時起き、5時には家を出発というルーティンでっした。
んで、何度も何度も重たいブツの積み下ろし作業と現場移動の繰り返しでがしょ?(ちなみにブツは紙管と呼ばれるもので、小さなものはトイレットペーパーの芯やラップの芯。以外は工業用と思われる大口径のブツ。これが重いんだ・・・)異常な暑がりのオイラは真夏の手伝いは地獄ぢゃったわ。
な訳で、父が仕事上で一番恐れた事は何か?
交通事故
でありまっす。
単独、自損、他損問わず、いずれの場合も仕事にモロ影響が出てしまいまっすし、ましてや免許停止、免許取り消しになどになったらおまんまの食い上げでっすからね。
結局、40数年の勤務の内、幸いなことに単独、自損事故は0、他損は3回ほど被害を受けたのでっすが、いずれも大した事は無かったので仕事には全く影響が無かった。素直にスンバラシイと思いまっする。
オイラが高校生だったある夏の日。
例年のように1日仕事を手伝ったのでっすが、その日はなぜか子供、爺様、婆様が信号無視で横断歩道を渡って来たり、道へ急に飛び出してきたりって事が重なりもした。
そんな時、父はどうするか?
イェル・アット・トラフィック・ヴァイオレーターズ
これがなかなか凄まじいのでありまっす。サイドガラスをガァ~っと下げるや小さな子供だろうがなんだろうが関係なくデカい巻き舌濁声で、
バカヤローっ!(‡▼益▼) ゴルァ~~~~~っ!
テメェ、死にてぇのか~~~~っ!おる”ぁ~~っ!
と、大門ヅラ全開で怒鳴られたら子供はほぼ100%号泣。爺様、婆様は顔面蒼白って事になるんでっすが、オイラは慣れているから良いんでっすけどね、その度に
まぁまぁ、気持ちはわかるけど、
そんなに怒っちゃ可哀想だよぉ。
ただでさえおっかない顔なんだからさぁ。
と言うのでっすけど、こればかりはいくら言っても変わらんかったな。
80を超えても未だ父は車の運転はしちょりまっすが、10年ほど前に軽い脳梗塞も患いましたし、現役のトラック野郎の頃と比べれば圧倒的に体力も落ち、そもそも長時間の運転はもう無理なんすけど、毎年9月から10月の間に茨城県某市に車で行く用事の時はオイラが運転をしまっすが、途中、交通違反者に遭遇すると助手席から相変わらず怒鳴りつけていまっす・・・。
まぁ、元気なのは良いこととしておこう・・・。
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