もーいやっ!こんな生活っ!by 小松政夫
昨夜は午前2時過ぎに暑くて目が覚める。汗びっしょり。異常に喉が渇いておって、ルイボスティーを牛飲。
っぶねぇなぁ・・・。こんな感じで真夜中でも熱中症になるんだろうなぁ・・・。っべぇなぁ・・・。気をつけよう・・・。
2年前にご逝去された小松政夫さんと言えば、オイラの世代は“笑って!笑って!!60分”や、
“みごろ!たべごろ!笑いごろ!”がど真ん中でありまっして、
小学生時代のオイラにとって小松さんは“日本一面白いおぢさん”でありまっした。
数々のギャグや有名過ぎる淀川長治さんのモノマネは
今観てもメチャンコオモロイっ!これぞ正真正銘の至芸っ!小松さんは最後の最後まで超一流の“喜劇人”でっしたね。
さて、ついこの間、若気の至りによる恥ずい留年話を書きまっした。(ここ)
今回書くことも旧愚ブログに書いたのでっすが、これもどう振り返っても若気の至りでありまっす。
無事に5年を掛けて大学を卒業したオイラがめでたく就職したのは、電材関係を扱う商社でございまっした。
当時はまだまだバブル絶頂期でありまっして、建築関係やそれにともなう電材業界もかつて無いほど活況を呈しており、その勢いでこの商社も港区某所に新しい本社を建て始めるという有様。(ちなみにこの会社は現在も元気っ!)
で、5年も怠惰な生活を続けて来たオイラでっすので、なかなか社会人生活に馴染むのに四苦八苦いたしまっしたけど、だいぶ仕事に慣れてきた6月頃に
あぁ・・・。本当は音楽関係の仕事をしたかったんだよなぁ・・・。
と思ふようになり、段々モチベーションが下がって来てしまったのであった。
就活していた時に実はその道を探したんでっすけど、これっていう企業がなかったの。んで、諦めて商社勤めと相成ったわけでっすが、結局その後、どうしても許せぬある事が出来して(多くは語りますまい・・・)
今日を限りに辞めたらぁ~~~っ!
と啖呵を切って退職してもうたのね・・・。ほんと、つくづく親不孝な野郎でっす・・・。
「これが社会というもの。こんな事でいちいち腹立ててたら切りがないよ」と今では素直に思えるんでっすけど、当時はねぇ・・・。やっぱり若気の至りでございまっす。
ついでなのでその後の事も書きませう。
んで、音楽関係の仕事を改めて探し始めたのでっすが、やっぱりなかなか見つからぬ。ぶらぶらしているわけにもいかぬのでバイトで写植という仕事を始めたのでありまっす。
当時はQuarkXPressがようやくこの業界で使われ始めた頃で、まだまだ写真植字機による作業が主流でございまっした。
オイラはこの写真植字機を担当することになったのでっすが、これがなかなか難しく、それでもしばらくやっているうちに面白くなってきて熱中した時期もございまっす。
ちなみにCMでブレイクした宮沢りえさんが人気絶頂の頃で、某誌のグラビアのキャッチコピーを打たせてもらった時は嬉しかったっけ。
が、この会社は10時~19時が基本的な就業時間なのでっすが、出版系の常として締め切り等が近づいてきまっすと異常に忙しくなりまっす。
10時に仕事開始、12時~13時に昼食、15時~15時半に休憩、以降は夕食を摂る暇もなく文字を打ちまくり、退社をするのはテッペン(午前0時な)を超えるのが当たり前になりやっした。
こんな生活を続けているうち、出勤途上の某線から某線へ乗り換えるためにホームを歩いていたら突然ブラックアウト。気がついたら駅の休憩所らしきベットの上に寝ておりもした・・・。
完全なる過労でございまっす。そりゃ、小松さんぢゃなくても
もーいやっ!こんな生活っ!
と叫びたくなりまっすよ。
このままこんな生活パターンを繰り返しておったら過労死するんぢゃねぇか・・・と本気で思い始めた休日のある日、地元小岩の書店に行きまっしたら珍しく某GG誌がありまっして、何気なく立ち読みをしておりまっしたらオイラが現在勤めているお店が出版部員を募集しておったのでっす。
帰宅後、速攻でお店に電話をし、後日面接と相成り、無事に入社したのでございまっする。時に平成元年(1989年)末のことでございまんするす。
当時、うちのお店は9時半始業~18時終業でございまっして、仕事初日の18時に「Luzia君。はい、今日はもう上がっていいよ」と言われた時は号泣しそうになったよ。だって、
こんなに早く帰れるなんてっ!
そりゃ泣くさ。
そんなこんなで現在に至るワタクシでございまっす。

コメント