末端冷え性なものでっすから、未だに(注:現在、17:25)手足がかじかんでおる・・・。店の暖房は当然、稼働しちょるんでっすけどね・・・。
これはガキンチョの頃からそうなので体質なんだと思ふけど、さっき試しにギターを弾いてみたら全然指が動かねぇ・・・。初めてギターに触れた時くらい動かねぇ・・・。もう、いっそのこと一からギターをやり直そうか・・・と、思ふてしまうくらい動かねぇ・・・。
そう言えば、“2025年を表す漢字”は“熊”でっしたね。
オイラは内心、“米”かなと思っておったのでっすが、“熊”には納得。
調べてみまっしたら、2025年4月から11月までの日本全国の熊の出没件数は3万6,814件だったとの事で、これは過去最多だった2023年度の1年分の件数、2万4,348件を遥かに上回っておりまっして、熊出没による人身被害は230人、残念ながらご逝去された方は13人に登るという、これまた過去最多の非常事態でありまっす。
ぬぅ・・・。熊に罪はないとは言え、如何ともし難い・・・。
さて、昨年の6月23日に現代フラメンコ・ギターの雄、Antonio Rey(アントニオ・レイ)のイカしたルンバ、“Mi Rey(ミ・レイ)”の事を書きまっしたが(ここ)、冒頭はその時ご紹介したMVっすけど、何度観てもシャレオツでカッコよっ!
で、ライブ動画がいつの間にかYouTubeにアップされちょって、これがヤバいくらいいいんすわ。ムイ・ビエンなんすわっ。
良いっすねぇ~。
当たり前でっすけど、フラメンコ・ギターによるルンバは昔と現在ではリズムは同じでも、ハーモニーは全く変わりまっしたね。
例えばManitas de Plata(マニタス・デ・プラタ)のルンバとか、
Paco Peña(パコ・ペーニャ)の有名な“La Lola(ラ・ローラ)”とかを聴きまっすと、
妙に郷愁を唆られまっす。
より現代的なルンバへと変化するきっかけを作ったのは十中八九、パコ・デ・ルシアの“Entre dos aguas(邦題:二筋の川)”からでっすかね。
半世紀以上前の1973年、フラメンコ・ギターによるルンバの演奏にエレクトリック・ベース、ボンゴが入るというのはかなり先鋭的な試みであったはずっす。
せっかくでっすので、これ以降のパコのアルバムに収録されちょるルンバを聴いてみませう。
“Río Ancho(邦題:広い河 1976年)”
“Chanela(邦題:チャネラ 1981年)”
“Convite(邦題:インヴィテイション 1981年”
“Caña de Azúcar(邦題:さとうきびのルンバ 1987年)”
“Playa Del Carmen(邦題:カルメン海岸 1990年)”
“Manteca colorá(邦題:マンテカ・コロラ 1998年)”
“El Dengue(邦題:エル・デンゲ 2003年)”
“Casa Bernardo(邦題:カーサ・ベルナルド 2003年)”
“広い河”は1976年のアルバム、“Almoraima(邦題:アルモライマ)”に収録され、その翌年の1977年にパコはAl Di Meola(アル・ディ・メオラ)のセカンド・ソロ・アルバム、“Elegant Gyspy(エレガント・ジプシー)”で“Mediterranean Sundance(邦題:地中海の舞踏)”で共演しちょるわけで、その後、一気にジャズ・フュージョンのハーモニーが濃厚になっていったっすな。
実際、1976年の“広い河”と、スーパー・ギター・トリオで揉まれつつ5年後の1981年に発表されたパコ・デ・ルシア・セクステットによる初アルバム、“Sólo quiero caminar(邦題:道)”に収録された”チャネラ”、“インヴィテイション”でのコード使いは完全にジャズ・フュージョン化しちょりまっすよね。
ルンバはもともとキューバ由来のリズムでありんすから、割と自由に創作が可能かもしれまっせん。でも、やり過ぎるとフラメンコ・ギター音楽から逸脱してしまうかもしれまっせんからムズいっすね。
そういう意味ではアントニオ・レイさんのルンバ、“ミ・レイ”はパコとは違うソフィスティケートな味わいを持った名作だと個人的には思っておりまっす。
いずれにしろ、パコ以降の現代のフラメンコ・ギタリストは自分なりの新しい表現を模索しなければいけないので大変でっす・・・。
何度も書いておりまっすが、現代フラメンコ・ギターの語法は行き着く所まで行ってしまった感がありまっすので・・・。

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