今日、キケ・パレデスさんの事を書きまっしたが、参考に小松原庸子先生(2023年現在、92歳っ!正にレジェンド)の公式ウェブサイトの公演年譜を拝見しておりまっしたら、1985年12月に“特別公演「神々の展覧会」”と書かれておりまっして、この公演に関して旧愚ブログで言及しておったことを思い出したので再掲いたしまっす。
オイラが高校生の時に山下和仁先生のあの“展覧会の絵”がリリースされまっして、実を言うとこの時点でオイラは山下先生の事を全く知らず、たまたま小岩の新星堂でLPレコードを見つけまっして、帰宅後にレコードへ針を落としたわけでっすけど、
ぶっ飛んだ・・・。
当時、これを聴いた多くのプロ、アマのギター弾きは同様の衝撃を受けたはずでっす。
以来、オイラは山下先生の都内近郊で行われるコンサートには可能な限り足を運ぶほどの追っかけとなりまっした。現在のナウでヤングな若者風に言うと“推し活”でっすな。
初めてオイラが山下先生の実演に触れたのは習志野文化ホール(残念ながら今年の4月から長期休館)で開催された新日本フィルハーモニー交響楽団、指揮は井上道義先生による日曜の名曲コンサートでっした。
演奏曲はManuel de Falla(マヌエル・デ・ファリャ)の“El sombrero de tres picos(三角帽子)”、Modest Petrovich Mussorgsky(モデスト・ムソルグスキー)~Maurice Ravel(モーリス・ラヴェル)編の“Pictures at an Exhibition(展覧会の絵)”、そして、Joaquín Rodrigo(ホアキン・ロドリーゴ)の“Concierto de Aranjuez(アランフエス協奏曲)”でござった。
今でもこのコンサートのことは鮮明に覚えておるのでっすが、“アランフェス協奏曲”で山下先生はPAを使用していないのにも関わらず、
音がでけぇっ!
オケがトゥッティでも全くギターの音が埋もれないのに驚愕・・・。失礼ながら「やっぱこの人、普通ぢゃねぇ・・・」と思うたわ。
で、1985年12月の“特別公演「神々の展覧会」”にも当然、足を運びまっした。
オイラが大学2年生の時でっすのでフラメンコ・ギターも始めていたし、しかも、山下先生も出演されるわけでっすから、これ以上は無い贅沢なコンサートでござったな。
何と前半は山下先生によるIgor Stravinsky(イーゴリ・ストラヴィンスキー)の“L’Oiseau de feu(火の鳥)”のソロ演奏と、小松原庸子舞踊団によるフラメンコ・ステージでっした。
で、休憩を挟んだ後半が劇舞楽である“神々の展覧会”の演目だったのね。
舞台上にセットとして組まれた巌の上に白い貫頭衣のようなものを纏った山下先生(神役ね)が鎮座し、“展覧会の絵”が演奏されるわけでっす。その曲に合わせて劇舞楽が演じられて行くっていう寸法。
大変失礼ながらオイラは踊りには目もくれず、ただひたすら山下先生の演奏に釘付けとなっておりまっした。
初めて目の当たりにする山下先生の“展覧会の絵”の実演でっすもの。しかも、弾けぬとは言え一度は楽譜にも目を通したオイラでっすもの。本当にあの激ムズのアレンジを楽々弾いているんでっすもの。んで、これがまた神懸かりにスンバラシイ演奏だったんだもの。
感動の極み・・・。
でございまっした。
感動覚めやらぬオイラは終演後、どうしても山下先生のサインが欲しくって楽屋へGOっ!
つ~のも、この公演が行われた芝の郵便貯金ホール(後のメルパルク東京ホール)は、これまで何度か書いたオイラが当時所属していた民謡の会の大きな大会で毎年使用されていたホールなので、楽屋への行き方は心得ておったのよ。
で、楽屋前に着きまっしたら出演者が多く、しかも終演後間もない時間帯でっしたからごった返しておりやしてね、「あぁ~、どうしよどうしよ」と右往左往しておりまっしたら、不意にご年配のおぢ様から「どうしました?」と声を掛けられまっして、何とその御方は山下先生の
ご尊父
であらせらる山下 亨先生(1934-2020)でございまっした・・・。
一気に緊張が押し寄せ、シドロモドロになりながらカクカクシカジカと来訪の意をお話いたしましったら、「今はこんな状態ですので、お名前とご住所を教えていただければ後ほどお送り致します」とご返答いただきまっしたのでお言葉に甘えた次第。
後日、本当にサインが送られて来まっして(しかも、ちゃんと色紙に!)、思わず土下寝で感謝っすよ。何処の馬の骨ともわからぬ若人に優しくご対応いただいて本当にありがとうございまっしたっ!
そんなオイラがまさかギター関連の仕事をするようになるとはこの時は思いもせなんだのでっすが、お仕事上で山下先生に初めてお会いした時はやっぱり震えたっすよ。
今では良き思い出でございまっする。
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