オイラが昔、津軽三味線を習っていたことは何度か書きまっしたが(ここ、ここなど)、結局、自分が弾く津軽三味線の音に耐えられなくなって棹を折ったわけでっすけど、オイラの先生の先生の先生であった津軽三味線の名手、高橋祐次郎先生(1935-2012)は初代・高橋竹山先生を深く尊敬し、オイラの先生(故人)がいつか語ってくれたところによりまっすと、ハッキリとした理由はわからんのでっすが、祐次郎先生は自身が津軽ではなく秋田県(角館市)に生まれた事に強烈なコンプレックスを抱かれ、ある日突然、流浪の旅に出られたというお話を聞いた時は何で?と思ふたのでっすけど、年を経てオイラにもその気持が良く分かるようになったっす。
オイラ自身、後に初代・高橋竹山先生の生演奏を目の当たりにして津軽三味線をやめたわけでっすからね。
冒頭の動画は津軽民謡の復興に大きな足跡を残され、津軽民謡の父とも称された稀代の歌い手、成田雲竹先生(1888-1974)と、初代・高橋竹山先生との共演という大変貴重なお宝映像と言っても過言ではないアーカイブでっす。1
成田雲竹先生は西津軽郡、初代・高橋竹山先生は東津軽郡のご出身でありまっす。
お二人共オイラと同じ日本人でありまっすから、オイラのようなヘタレが聴いてもグッと来てしまうわけでっすけど、自分で演奏をした場合、音楽表現上等でどうしても越えられない壁が同人種であっても存在するのでありまっす。
それは
方言
でありまっす。
もし、オイラが津軽三味線ではなく津軽民謡の歌を習っていたとしたら、仮に天才的な歌唱力を持っていたとしても、東京生まれ東京育ちで標準語しか喋れぬ発声では、本当の津軽民謡の細かなニュアンスや奥深さは全く表現出来ぬと思ふ。
これもやっぱり、生まれた土地における血の為せる業ではないっすかねぇ。
器楽演奏は何とかなりそうな気がしないでもないのでっすけど、歌はオイラに限っては無理っぽいっす・・・。
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